私の母は思えば、何でも作ってくれた
私は中学生まで小食で、一日一食食べればいい方だったから、というのもあるだろうが、言えばその都度、作ってくれた
だけど、私はどうだろう。
私は料理が嫌いだ
今は偏食3歳児がいるが、偏食をいいことに、出来れば食べないでくれたらいいのにと思うほどに、嫌いだ
だから、どうせ作っても食べないだろうという考えが先に出てきて、作らないで済む理由をいつも探していた
その悩みは今は宅食(献立と食材を届けてくれるヨシケイ)を頼ったことで少しは解決しているけれど、偏食で小食なわが娘を前にしても、食べたい物をなんでも作ってあげようとは思えない
ヨシケイの献立を食べないで、「○○が食べたい」と言われたら、いやだ。私の今日のノルマ(夕飯づくり)はもう終わったのだ。
これを食べないなら食事はもうないのである
これは、別に悪い事じゃないと思うんだけど、でも、食べたい物を作ってくれた母のもとで育った私は、どう育っただろうか?
自分でいうのもなんだが、こだわりや融通が利かないところはあるけど、人に迷惑をかけるほどのわがままに育ったわけではない(と思いたい)
今日、オイシックスの献立は、肉じゃがだった。肉じゃがの豚肉は固くなりがちなので、うちの子はいまだに噛み切れないから食べなかった
しかし、昨日の揚げ出し豆腐は、ひっさいぶりに炭水化物以外の物を食べた。オイシックスの出来合いの揚げ出し豆腐だ
今日の夕飯の時、子供は「昨日食べたお豆腐が食べたい」といった
ここで、私の母なら、冷蔵庫から常備している豆腐を出してせっせと作るだろう
しかし、私は、作らない
そもそも豆腐がない。だけど、母は、。というか父が急に無理難題を命令する人なので、母はそれに対応できるようにあらゆる策を講じている
だから当然、豆腐くらい常備しているのである
でもうちにはない
それはいいのだ。うちはそういう家庭なのである
でも、いつか子供は言うだろう
「ばぁばは私の食べたい物をなんでも作ってくれる」と。
口に出さなくても、そう思う日が来るだろう。
だって、母(ばぁば)は一階に住んでいるんだもの
今だって、言えば何でも出してくれる
そして、ここだけ見れば、それは「ばぁば」の特権(甘やかし役割)でもあるが
ここで、また私は思うわけだ
「母は私にも何でも作ってくれた」と
そして、たぶん、これが料理コンプレックスの一因だろうなと。
以上っ
この日記に思い当たることがあればこちらの記事も読んでみて、やってみてください
≫料理嫌いをカウンセリングするための35の質問に答えてみた