バァバは私の食べたい物何でも作ってくれるのに。と言われる日

バァバは私の食べたい物何でも作ってくれるのに。と言われる日

2021-03-10

私の母は思えば、何でも作ってくれた

私は中学生まで小食で、一日一食食べればいい方だったから、というのもあるだろうが、言えばその都度、作ってくれた

だけど、私はどうだろう。

私は料理が嫌いだ

今は偏食3歳児がいるが、偏食をいいことに、出来れば食べないでくれたらいいのにと思うほどに、嫌いだ

だから、どうせ作っても食べないだろうという考えが先に出てきて、作らないで済む理由をいつも探していた

その悩みは今は宅食(献立と食材を届けてくれるヨシケイ)を頼ったことで少しは解決しているけれど、偏食で小食なわが娘を前にしても、食べたい物をなんでも作ってあげようとは思えない

ヨシケイの献立を食べないで、「○○が食べたい」と言われたら、いやだ。私の今日のノルマ(夕飯づくり)はもう終わったのだ。

これを食べないなら食事はもうないのである

これは、別に悪い事じゃないと思うんだけど、でも、食べたい物を作ってくれた母のもとで育った私は、どう育っただろうか?

自分でいうのもなんだが、こだわりや融通が利かないところはあるけど、人に迷惑をかけるほどのわがままに育ったわけではない(と思いたい)

今日、オイシックスの献立は、肉じゃがだった。肉じゃがの豚肉は固くなりがちなので、うちの子はいまだに噛み切れないから食べなかった

しかし、昨日の揚げ出し豆腐は、ひっさいぶりに炭水化物以外の物を食べた。オイシックスの出来合いの揚げ出し豆腐だ

今日の夕飯の時、子供は「昨日食べたお豆腐が食べたい」といった

ここで、私の母なら、冷蔵庫から常備している豆腐を出してせっせと作るだろう

しかし、私は、作らない

そもそも豆腐がない。だけど、母は、。というか父が急に無理難題を命令する人なので、母はそれに対応できるようにあらゆる策を講じている

だから当然、豆腐くらい常備しているのである

でもうちにはない

それはいいのだ。うちはそういう家庭なのである

でも、いつか子供は言うだろう

「ばぁばは私の食べたい物をなんでも作ってくれる」と。

口に出さなくても、そう思う日が来るだろう。

だって、母(ばぁば)は一階に住んでいるんだもの

今だって、言えば何でも出してくれる

そして、ここだけ見れば、それは「ばぁば」の特権(甘やかし役割)でもあるが

ここで、また私は思うわけだ

「母は私にも何でも作ってくれた」と

そして、たぶん、これが料理コンプレックスの一因だろうなと。

以上っ

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